― 第二話・年寄りの長話と、若者たち ―



 しょうゆがない中で苦心して作りあげたなんちゃって肉じゃがは、「L&F」のみんなにも好評だった。食事のレパートリーが増えたと内心でガッツポーズをしながら、私はおかわりを要求してくるウェントの皿を受け取る。
 時計を見れば、もういい時間だ。ウェントはすでにお酒を持ち出していて、肉じゃがはそのつまみのようになっている。
 ――どうでもいいけれど、肉じゃがに洋酒は合うのだろうか。
 鍋の中の肉じゃがをお皿に盛りつけつつ、私はひとりで首を傾いだ。

 現在、食堂に残っているのは、ハルとレイラ、アイビーとウェントの四人。
 ファデスは、ウェントが趣味でしている研究について語り出すなり、さっさと食事を済ませて食堂を出て行った。
 これまでの経験から、ウェントの話が長くなることを悟っているんだろう。その行動は、ウェントに止める隙を与えないほどに迅速かつ無駄がなかった。
 ところが、残念なことにハルやアイビーは逃亡に失敗。適当に相づちを打ちながら、今もなおウェントの話につき合わされていた。
 初めは興味深そうに聞いていたレイラも、今では退屈そうに空になったコップをいじくりまわしている。
 ――そんな中、まともな顔をしてまともに話を聞いているのは、私くらいのものだった。

「ウェントさん、肉じゃがのおかわりですよ。もうお鍋の中はすっからかんですので、一応」
「うむ――それよりも、イツキのいた世界では、電気を使って動く物が多いようじゃが、電気の力で一体どこまでできるのかのう?」
 ウェントに問われて、私はテーブルに皿を置きながら、『あちら』の電化製品を思い浮かべる。
「えーっと、ひととおりのことはできますよ。自動で洗濯したり、食材が痛まないように冷やしたり、火を使わずに料理したり――後は、無線機みたいな形の機械で好きな音楽をいつでもどこでも聞けたりとか」
「なんと! 生活の助けになるだけでなく、娯楽にまで使えるとな!?」
「そうですね。魔法が使えない分、科学技術は発達してましたから」
 私がにこにことして答えると、ウェントは私の好きな――その子どものような表情をみせた。
「たしか、イツキの世界には、精石の代わりに“電池”というものがあったの――だとすると、電気を使えば魔法が使えなくとも、様々なことができる――これは便利じゃ! 素晴らしい!」
 嬉々として語るウェントの姿に笑みをこぼして、けれども、私はすぐに目を伏せた。
 便利になることと引き換えに失ったものは、多い。澄み渡る空も、透きとおった海も、みずみずしい緑も、みんな、便利さの代償に失った――それが、私の『世界』だ。
 ――だから、私は思う。

「エリアルは、エリアルのままで、発展していってほしいです。私、魔法も好きだから」

 精霊という存在と共に生きているこの世界が、私はたまらなく好きだから。

 すると、ウェントは少しだけ声の調子を落として、穏やかに微笑んだ。
「――そうじゃの。エリアルはエリアルのままが、一番じゃ」
 とはいえ、ウェントの探究心がついえるわけではない。いかに、『エリアル』としての発展をすべきか、『あちら』の良いところと悪いところとを踏まえたうえで、さらなる研究をするのだ。
 そして、いつになく饒舌なウェントの話が再び始まる。
 私がそれを聞きながら、軽く相づちを打っていれば、テーブルを挟んで斜め前に座っていたハルがぼそりと呟いた。
「……イツキは、よくこの話についていけるな」
「いや、別についていけてるわけじゃないよ。わからないところはわからないし」
「でも、ちゃんと会話として成り立ってるじゃない」
 と、そう言ったのは、となりの席のアイビー。続いて、そのちょうど反対に座るレイラも口を開いた。
「あたしは、イツキのしてくれたお話のほうが好きよ」
「――イツキのお話?」
 きょとんと、ハルの目が丸くなる。
 ――そういえば、ハルには私が「物語」を書いていることは話していなかった気がする。
 レイラにはひとつ語り聞かせたばかりだし、アイビーは私が手帳を落とした際に少しだけ聞かせたし、ここにはいないファデスに至っては「物語」の代筆をしてもらった。ということは、
「そっか、ハルだけ知らないんだ」
「……俺だけ?」
「うん、ハルだけ。ウェントさんも、アイビーも、レイラも、ファデスも知ってる」
 私は頷いてから、ウェントの話の邪魔にならないよう小声で続けた。
「私、趣味で物語を書いてるんだよ。でも、なんか、特に話すことでもないかなって思ってたから」
「へえ、イツキってそういう趣味があるんだな」
「意外?」
「いや、そうじゃないんだけど――いつも一人で部屋にこもってるみたいだから、何してるのか気になってたんだよ。ほら――まだ、不安とかあるんじゃないかって」
 そう言って、ハルが頬をかく。ハルは、私のことを気にかけてくれていたのだと知って、自然と口もとが緩んだ。
「大丈夫だよ、ありがとうハル」
 ハルは優しいね。と、私がつけ加えたのなら、ハルはちょっとだけ目をそらす。
 そんなハルの様子を、アイビーが珍しそうにじっと見ていたのだけれど、生憎と私は気づかなかった。

「――というわけじゃが、聞いとるのかの、ハル」
「はいっ!?」
 突然の指名に、ハルの声がひっくり返る。
 一方で、ハルを名指ししたウェントは、その反応を見て聞いていなかったと判断したのだろう。嘆かわしそうに、ため息を吐いた。
「なんじゃ、また聞いとらんかったのか。しかたがないのう、もう一度、最初から――」
「え」
「何か言ったかの?」
「いえ! 何も!!」
 ――ハルのへたれ、ここに極まれり。
 ウェントに目をつけられ、完全に逃げられない状態となったハルを尻目に、私はレイラに声をかけた。
「それより、レイラは早く休んだほうがいいんじゃない?」
「イツキは?」
「ハルとアイビー放っておけないしね、今日はウェントさんに徹夜でつき合うよ」
 どうせ、私には仕事なんてないし、徹夜にだって慣れている。笑ってレイラの頭を撫でていたら、その口から一言。
「アイビーはともかく、ハルなんて放っておけばいいじゃない」
 思わず、頭を撫でる手が止まってしまった。
「……レイラ、今なんかちょっと黒かったよ……?」
「髪が?」
「――いや、そうでなくて」
 にこりと笑みを浮かべるレイラに、私は内心で冷や汗を流す。
 ――さすがは、レイラというべきか。
 彼女のハルに対するぞんざいな扱いには、閉口するしかなかった。



 そして迎えた翌朝。

「朝じゃが――二人とも、生きとるかの〜?」
「「眠い……」」
 元気はつらつとしているウェントを他所に、眠さで撃沈しているハルとアイビー。そんな三人を前に、さすがの私も小さくあくびをした。
 ハルを生け贄に、なんとかレイラは逃がせたけれど、やっぱり他の面々は逃がせなかったな、と苦笑する。
「今日、お休みしたい……」
 いつも元気に満ちあふれているアイビーからは想像できないほどに、その声はか細い。けれども、ウェントは非情だった。
「人手不足なのに何を言っとる。今日も馬車馬のように働けーい」
「…………」
 アイビーがイラついたのが、なんとなく雰囲気でわかった。
「なんとか言ってやってよ、ハル」
「居候の身分で口答えなんて、とても……」
「この根性なし!!」
「ふふ……なんとでも言ってくれ」
 私はテーブルの上に散乱する空き瓶やらコップやらを片づけながら、二人の会話を聞く。
 すると、微かに階段を下りてくる音がした。私が手を止めて食堂の入り口に目を向けたら、ちょうどファデスが起きて来たところで、
「おはよう」
「……徹夜か」
「ああ、うん。やっぱり、わかる?」
「目の下にくまができてる」
 ファデスからしてみれば、どうしてウェントの話に徹夜をしてまでつき合うのか理解できないのだろうけれど、私にとっては、一分一秒でもみんなと長く一緒にいられるのなら、それでよかった。
 一人でいるよりも、ずっと。

 とはいえ、そんな私でも徹夜をして消耗しないわけではない。

 テーブルに突っ伏しているハルとアイビーを見たファデスから、水の入ったコップを渡された時は、正直言ってありがたかった。
「ありがとう、ファデス」
 私がお礼を言ってコップに口をつける傍ら、ファデスは無言でハルとアイビーのための水を用意し始める。
 ――無口で無愛想だけど、ファデスって結構優しいところあるんだよなあ。
 渇いた喉に染み渡る水の感覚に、生き返ったような気分になるのを感じた。

「さーて、今日の朝食は何かのう。魚が食べたいのー」
 一晩中、しゃべり続けても相変わらずの――というか、存分に自分の研究について語ることができて、逆に嬉しそうな――様子で、ウェントが言う。
 今日の当番はアイビーで、私はその手伝いだ。けれど、毎日キッチンに立っている私はこの屋敷の食材は把握している。私は苦笑いを浮かべて、洋酒の入った瓶を回収した。
「すみません、魚はないんですよ。昨日は買ってきてもらうどころじゃなかったし……」
「芋で我慢するんだな」
 表情もなく言ったファデスに、ウェントがショックを受けたような声を出す。
「また芋とな!?」
「いいじゃないですか、お芋。芋を軽んじるものは芋に泣くんですよ」
 ――それ、なんか違う。
 とは、誰もツッコんでくれなかった。
「……むむ、昨晩の肉じゃがは――」
「芋は芋でも、肉じゃがならいいんですね。というか、肉じゃがは全部ウェントさんが食べちゃったじゃないですか」
 アイビーが徹夜で食事当番をこなさなくてはいけないのをわかっていて、多めに作っておいたのに。喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら、なんとも言えない気分である。
 そこへ、元気いっぱいなレイラの声が食堂に響いた。

「おっはよー! 何? おつかい行こうか?」

 無邪気なその言葉が、未だ一人でおつかいに行けない私の心にぐさりと刺さった。これでは、どっちが子どもかわかったもんじゃない。
 だけど、ここでめげてはいられない。洋酒を片づけるついでにエプロンを取って来ると、私はその内の一着をアイビーに手渡した。アイビーは小さく「ありがと」と口にして、エプロンを身につける。
「レイラは、しばらく外出だめって言ったでしょ? 今日は我慢してね、所長」
 そう言ったアイビーに向かって、レイラとウェントのブーイングが飛んだ。

 睡眠不足のせいか、今日のアイビーは目が据わっているように見える。おかげで、アイビーが包丁を握るとなんだか、おっかなくてしかたがなかった。
 しかも、手元も覚束ないものだから、見ていて冷や冷やする。
「ア、アイビー……今日は私が用意するから、無理しなくていいよ」
 とうとう見ていられなくなって私が口を開けば、アイビーは渋った。
「でも――」
「今日も仕事あるんでしょ? ほら、顔でも洗ってさっぱりしておいでよ」
「うう……ごめんね、イツキ」
「いいの、いいの。お互いさま」
 包丁を置いたアイビーの背中を軽くぽんと叩いて、にっこりする。
 そしたら、感極まったようにアイビーが言った。
「イツキが、お嫁に来てくれればいいのに……!」
「――は?」
「そうよ! ファデスは!? あの子、ちょっと無愛想だけど、なんでもそつなくこなすし、根は優しいし、良物件よ! 今なら、もれなく屋敷つき!!」
「いや、アイビー……ファデスにも、選ぶ権利っていうものが――」
「こんな好条件でも動じないなんて――はっ、まさか、ハル!? ハルなの!?」
 ――だめだ、聞いちゃいない。
 どうやら、今日のアイビーは本格的に参っているらしい。ウェントと話をするのはいいのだけれど、巻き込まれたアイビーが時々壊れるのが大問題だ。
「まあ、迷うのもしかたないわ! ファデスとの子はきっと人形みたいに可愛い美人だろうし、ハルとの子は金髪碧眼の“天使ちゃん”かもしれないんだものね!!」
「――お、おおお落ち着いて、アイビー! とにかく落ち着こう!」
 きらきらとして語るアイビーの壊れ具合が、はんぱない。聞いているこっちが恥ずかしくて、料理どころじゃなかった。
 私はとにかくアイビーを宥めすかすことに専念。そうして、アイビーが落ち着いたのを確認してから、結局二人で朝食を作った

「ごめんね、ちょっと遅くなって」
 声をかけながら、席についていたみんなのところへと食事を運ぶ――と、私はそこで普段は見ないような光景を目にすることになった。
「あれ、珍しいね。ハルも新聞読んでるの?」
 いつも新聞を読んでいるのは、ファデスなのに。
 そういう意味合いを込めて問えば、ハルは立てた新聞に顔を向けたまま、答えた。
「あ、ああ、た、たまには……」
「へえ」
 意外と勉強熱心なところもあるんだなあ。なんて、ハルに感心して、それからファデスへと目を向ける。こちらもまた、新聞を立てているため、表情はうかがえない――のだけれど、
「……ファデス、新聞逆さまだけど」
「! ハルと新聞分けたから」
「あ、なるほど」
 きっと、新聞を分けた拍子に上下が逆になってしまったのだろう。
 そう納得してテーブルに皿を並べようとしたら、レイラがつまらなさそうに口を開いた。

「――違うわよ。さっきの会話、こっちまで筒抜けだっただけ」
「「しっ!!」」

 同時に飛んだ制止の声。それに思わず、きょとんとすると、ウェントが楽しそうに笑った。
「ほっほっほ、若いのう」
 その発言で真っ赤になったのは、制止の声をあげたハルとファデス。次いで、冷静になっていたアイビーの顔までもが真っ赤になった。
 そこまできて、ようやく状況を理解した私は、その場で固まる。
 つまり――つまりは、「嫁」だのなんだのというアイビーの暴走発言が「婿候補」として挙げられた本人たちにまで聞こえていたということで、

「――ウェントさん、今日はお茶の差し入れしませんから」

 この一言で、愉快そうに笑っていたウェントの声が途切れた。





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