― 第三話・しゃべるラッパ ― |
外出禁止令が出されているレイラを差し置いて、一人で日課の散歩へ行くのも忍びない。
しばらくは、散歩は自粛かな。と、そんなことを考えながら洗い物をしていたら、仕事の準備をしていたアイビーがキッチンに顔を出した。 「イツキ、今日は昼食どうする?」 『こちら』には、お弁当箱というものがないらしい。なので、「L&F」で仕事をしているみんなの昼食に持たせるものといったら、布などに包んだサンドイッチや、そのままでかじれる小さ目の果物ばかりだ。 けれど、「L&F」の業務は意外と体力勝負。これでは少し、量が足りないのではないかと思い、近頃では日中暇な私が昼食を作って、休憩時間に 食堂へ来てもらったりすることもある。 「うーん……レイラもいるから、今日は私が作るよ」 お弁当もいいけれど、できることなら、みんなにはできたての食事を食べてもらいたい。 そう思って、髪を整えているアイビーに答えると、彼女は少しだけ笑った。 「ありがと! イツキがいてくれて、本当に助かるわ」 「ううん。私こそ、みんなにはお世話になってるし」 笑って頭を振れば、アイビーはさらに笑みを深くする。 「それじゃ、私は行くから、レイラのことはよろしくね!」 「うん、いってらっしゃい――あ、寝不足なんだから無理はしないでね、アイビー」 「大丈夫よ! 昼食、楽しみにしてるから!」 寝不足ながらも笑顔でキッチンを後にしていくアイビーは、これからきっと、ハルやファデスたちに今日の昼食のことを伝えに行くんだろう。 いいお嫁さんになるだろうなあ。なんて、私がレイラと一緒にそれを見送っていたら、レイラがぽつりと言った。 「むしろ、アイビーとイツキが夫婦だわ……」 「――え? ごめんレイラ、なんか言った?」 「ううん、なんにも」 よく聞き取れずに聞き返したところ、首を横に振られる。かと思いきや、レイラは私の服を引っぱった。 「ねえ、これが終わったらどうするの?」 「んー……そうだね、ウェントさんのところへ行ってみようか。所長室には、変わったものがいっぱいあるんだよ。しゃべるラッパとか」 ――まあ、ラッパというか、ウェントお手製の無線通信機なのだけれど。 けれども、私の言葉を聞いたレイラは、ぱっと表情を輝かせた。 「それ、本当? あたしも手伝うから、早く行こ!」 「あはは、ありがとう。じゃあ、レイラにはお皿拭くの手伝ってもらおうかな」 言いながら布巾をレイラに手渡せば、レイラは洗ったばかりの白い皿を黙々と拭き始める。 好奇心旺盛なレイラにとって、所長室にある「しゃべるラッパ」は、よっぽど気になるらしい。一心不乱に皿を拭く様子が可愛らしくて、私はこっそりと笑った。 二人で手早く洗い物を済ませ、レイラに急かされるまま、二階にある所長室へと向かう。所長室に着くと、ウェントは手ぶらな私を見て残念そうな顔をした。 「本当に、差し入れのお茶は持って来てくれんかったんじゃのう……」 「当たり前ですよ! アイビーがあんな暴走するまで消耗させて、少しは自重してくださ――」 「ねえイツキ、あたし、のど渇いちゃった」 「「…………」」 レイラの一言で沈黙する、私とウェント。 ウェントのまなざしに期待が込められたのを感じて、私はたじろいだ。さらには、レイラが遠慮がちに袖を引いてこちらを見ている。 ただの水を用意するのもあれだけれど、自分たちだけ紅茶を飲んで、家主には何も出さないというものどうかと思う。 「――っ! レイラのためですからね! ウェントさんは、おまけですよ!」 なんだかんだでウェントにも甘い私は、捨て台詞を吐き残して、再びキッチンへと取って返すこととなった。 * 『見回り係のみなさーん、迷子のおばあちゃんの捜索をお願いしまーす』 『了解』 『了解しました。詳細、流してください――』 蓄音機のようなスピーカーから流れる、「L&F」所員たちの声。 私とウェントが紅茶を飲んでいる傍らで、レイラは「しゃべるラッパ」――もとい、無線通信機にかじりついていた。 どうでもいいけれど、レイラのために紅茶を淹れたカップは、とっくに空になっている。とろとろと飲んでいるあたり、私も歳を取ったのかもしれない。 ウェントのカップの中身を盗み見てみたら、どっこいどっこいといったところで、ちょっと複雑な気分になった。 「すごいわ、本当にラッパがしゃべってる」 「それは、わし作、無線通信機じゃよ」 カップをソーサーの上に戻して、ウェントが立ち上がる。それでも、背の低いウェントは、振り返ったレイラとほとんど同じくらいの目線だった。 「むせ――?」 「簡単に言うと、電話の線がないやつじゃの」 「……ウェントさん、レイラは電話なんて知らないと思いますよ。こっちでは一般家庭には、普及してないんでしょう?」 私が横から口を挟めば、案の定、レイラは首を傾げてこちらを見ていた。 『エリアル』では、電話があるのはお金持ちの家とか、宿なんかのそれなりに大きな施設くらいだ。 前に一度、「電話なんて、どこの家にもあるよね?」などと口にしたら、一体どこの箱入り娘かとハルに驚かれた覚えがある。 ――最も、その誤解がきっかけで、『あちら』の技術が進んでいることがウェントに知れ、彼の話し相手になるようになったのだけれど。 そんなことを思い返していると、レイラが私に向かって話しかけてきた。 「ねえねえ、でんわって何?」 「そうだなあ……遠くにいる人と会話ができる機械、かなあ」 そう答えて、私はぐるりと所長室の中を見渡した。そこで適当な物を見繕い、ウェントに声をかける。 「ウェントさん、これ、拝借しても構いませんか?」 「うむ、よかろう。どうせ、捨てるつもりじゃったからの」 「ありがとうございます」 私は軽く頭を下げ、二枚の紙と、ひも、それから、セロテープ代わりにシーリングワックスを借りた。 紙を丸めて、とんがり帽子のようなものを二つ作り、それをひもで繋ぐ。そして、その片方をレイラに手渡して、言った。 「レイラ、これを耳に当てていてごらん」 「……こう?」 レイラはきょとんとした表情をしたけれど、言われたとおりに、「それ」を耳に当てる。 私は頷いてレイラから距離を置くと、もう片方の「それ」に口を当てて小さな声で呟いた。 「――――」 とたん、レイラの表情に驚きが満ちる。 「それ」から口を離して、私は少し大きめの声を出した。 「どう? 聞こえた?」 「聞こえた!」 興奮したような様子で、レイラが「それ」を振り回す。 「ねえ、何? これ何?」 初めて見るものに対して、純粋な好奇心を見せるレイラに、私も自然と笑みが浮かんだ。 「これはね、糸電話っていうんだよ」 「いと……でんわ?」 「そう。で、電話は、これが進化したようなものなの。もっと遠くの人にまで、声を伝えられるんだよ」 この線が繋がっている限りはね。と、そうつけ加えて、レイラを見る。 と、レイラは糸電話に口をつけて、何かを言おうとしていた。それに気づいて、今度は私が糸電話を耳に当てる。 『あたしも、イツキのこと、大好き』 耳元で聞こえたその言葉に、思わず、目を丸くする。驚いて、もう一度レイラへと目をやったのなら、レイラは照れたように、はにかむように、笑っていた。 「ずいぶんと楽しそうじゃが……二人して、なんの話をしとるのかのう?」 一人だけ蚊帳の外にいたウェントが、おもむろに口を開く。 だけど、私とレイラは互いの顔を見合わせて、どちらからともなく、笑った。 「「内緒」」 そう息をそろえて言った私とレイラに、ウェントが不満そうに口を尖らせる。 「けちじゃの〜」 「けちでいいです。けちけちしてるほうが、エコなんです」 ――日本人が口にする「もったいない」は、世界にも誇れるエコだ。 とはいえ、あんまり放っておいて、すねられても困るので、それからはウェントも混ぜ、代わる代わるに糸電話で遊んだ。 レイラとウェントが糸電話を使って話している姿は、祖父と孫のようでなんだか微笑ましい。こんな遊びにつき合ってくれるウェントも、お茶目で良い人だ。 ――けれど、その時だった。無線通信機から聞こえてくる声が、急に慌しくなったのは。 『外にいる人は入口固めて。とにかく、逃がさないように!』 『了解』 糸電話で遊んでいた私たちは、無線通信機へと目を向ける。アイビーと他の「L&F」所員の声だった。 『所長!』 アイビーの声がウェントを呼べば、ウェントは通信機の端末を手に応じる。 「レイラは、わしとイツキで見とるよ」 『ありがと!』 「あ、ウェントさん、アイビーにひとつだけ伝えてほしいことが――」 慌てて私が口を開くと、ウェントは快くそれを伝えてくれた。 「アイビー、イツキから伝言じゃ。決して慌てず、事を急がないように、と」 けれども、思えばこの発言は間違いだった。 トラブルを楽しむところがあり、なおかつ暴走する癖のあるアイビーには、もっと具体的に言うべきだったのだ。 ――正面玄関は、最初から閉めておいたほうがいいかも、と。 |
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