― 落し物のポケット ― |
この身ひとつで『こちら』に「落とされた」と思っていたら、実はそうでもなかったらしい。
――普段から持ち歩いていたネタ帳と、筆記用具。 それがポケットに入っていたと気づいたのは、「L&F」が閉館して夕食も終え、割り当てられた自室で一息吐いた時だった。 私はランプの明かりを頼りに、部屋に備えつけてあった机へと歩み寄る。かちかち、と、シャーペンの芯を出しながら、机の上に開いた手帳に向かった。 文字をつづれば「世界」が動き、ペンが止まれば「世界」も止まる。 書き出したばかりの一文を消しゴムで消せば、紙の上に微かな痕跡を残して、「世界」は丸々消え去った。 「――書けない」 低く呻くように呟いて、手にしたシャーペンもそのままに私は机に突っ伏した。 趣味で始めた創作活動――それが行き詰るようになったのは、いつ頃からだろう。 自分の好きなキャラクターを創って、好きなことをさせていた頃。そして、いつの間にか、勝手に動き回るようになったキャラクターたちを、追いかけ回すようにして文字を連ねていた、あの頃。 その過程や経過が好きで、楽しくてやってきたはずなのに、いつの頃からか、それができなくなった。 時が経つにつれて、物語の構成やキャラクターのバランス、世界観が気になるようになった。いくつもの話の矛盾点にぶち当たって、気が滅入るようになった。 でも、どれだけつらいと感じても、こんなものやめてしまおうと思っても、どこかの誰かが作った「物語」にふれると思ってしまう。 ――私も、こんな「物語」が書きたい。 あんな風に、自分の創り出したキャラクターたちを動かしてあげたい。生き生きとした「彼ら」の姿を見てみたい。 そう思ったら、最後。ボツにしたはずのものにさえ愛着が湧いてきて、結局は掘り起こしてしまうのだ。 ちらりと、脳裏をかすめていくのは、『こちら』で出会った人たちの姿。若干一名は仏頂面だったけれど、みんな、生き生きとした笑顔で笑っていた。 ――差し出された手の、あたたかさを思い出す。 私は机に突っ伏したまま、シャーペンを握った。紙に残った痕跡をなぞるように、消しゴムで消した一文を、一字一句違わずつづり直す。 「……何やってるんだろ」 意味のない自分の行動に、ため息を吐いた。けれど、つづり直した一文を読み返してみたら、自然とほっとする。 ――私の手によって、消えた「世界」が、また息を吹き返した。 * 翌日。普段から使っていた目覚まし時計がないことを失念していた私は、ものの見事に寝坊した。 ちなみに、目が覚めたのは部屋まで人の声が聞こえてきたからだった。どうやら、すでに「L&F」は開館しているらしい。部屋の窓から見た空には、すっかり日が昇っていた。 昨日の内に教わった食堂へ大慌てで駆け込むと、そこには誰もおらず、木製の立派な長机の上には、一人分の食事と、一枚の紙切れ。 生憎と英語が達者でない私には、ほとんど読めなかったけれど、知っている単語から連想する限り、食事を取った後は食器を流しに持って行けというようなことが書かれているんだろう。 「……うわあ、やっちゃったよ……」 ――お世話になって早々に寝坊するなんて、印象としては最悪だ。 自己嫌悪に苛まれながら、すっかり冷めてしまった朝食を見やる。 たしか、ここでは食事を作るのは当番制のようだったけれど、今日の食事は一体誰が作ったのだろう。おいしそうな魚の香草焼きだった。 「いただきます」 一人寂しく席に着き、手を合わせる。そうして、朝食をいただいていたら、ふいに食堂のドアが開かれた。 「あら、イツキ、起きてたのね」 焦げ茶色の髪を肩口で揺らしながら食堂に現れたのは、「L&F」の制服を着たアイビーだった。 「夕べはよく眠れた?」 「……おかげさまで、すごく」 「そう? ならよかったわ。なんか、昨日の話だと今までとは全然違うところに来ちゃったみたいだから、慣れないところで、不安になってないか心配してたのよ」 むしろ、今の今まで、ぐっすりと眠りこけていました――とは、さすがに口にできなかった。 なんとも居心地の悪い気分で魚にナイフで切り込みを入れていると、アイビーがこんなことを言い出した。 「あ、そうそう。これから私、巡回に行くところなんだけど、イツキも一緒に行かない? 巡回がてら、エミン・ヒルを案内してあげるわよ」 そういえば、ここは観光都市なのだったか。だったら、きっと見るところもたくさんあるんだろうなと思う。 それでなくたって、こんな異国の空気が漂う街だ。私からしてみれば、物珍しいものだらけだろう。 「……でも、“遺失物”って、原則として持ち出し禁止なんじゃないの?」 一応、“落し物”であり“遺失物”である身として、私は提言してみた。そしたら、アイビーはきょとんとして、私を見る。 「それはそうだけど――イツキ、あなたの“落とし主”が、ロスファンの受付までやって来ると思う?」 あっさりと切り返されて、私はぶんぶんと首を横に振った。 ――あり得ない。『世界』という漠然とした存在が、私をさがして「L&F」を尋ねてくるなんて、絶対にあり得ない。というか、ぶっちゃけ想像ができない。 「第一、色々とそろえなくちゃいけないでしょ? 服とか」 「それはそうだけど、私、お金もないし……」 「大丈夫よ、遺失物の管理費から引いてきたから」 ――それって、本当に大丈夫なんだろうか。 たしかに私は“遺失物”として「L&F」にいるわけなのだけれど、さらりと言ってのけたアイビーを見ていたら、なんだか逆に不安になってきた。なぜだろう。 けれども、アイビーは至極楽しそうに笑って、がっちりと私の腕をつかむ。 「ほら、行くわよ!」 「え、ちょ、待って、私まだ朝ごはん食べ終わってな――」 「それじゃ、いってきまーす!」 「ええええ!?」 私は食べかけの魚と悲鳴のような叫びを食堂に残し、アイビーの手によってエミン・ヒルの街へと繰り出すこととなった。 お金の単位や数え方を教わりつつ、日用品を買いそろえ、通りに並ぶ店を覗きながら街を歩いていく。今の時期は観光客も少ないようで、石畳の通りは意外と静かなものだった。 「でも考えてもみたら、ハルがロスファン所員として初めて拾ってきた“落し物”が、イツキなのよね」 「え? そうなの?」 「ハルは、ほんの少し前にロスファンの所員になったばかりなのよ」 「…………」 ――まさか、世界規模の遺失物取扱事件にまで巻き込まれるとは、ハルの巻き込まれ体質、恐るべし。 ちなみに、その難儀な事件の渦中にいるのが自分であることは、あえて考えない。ひょっとすると巻き込まれ体質であるなんてことは、断じて認めない。 そうして、私が日用品の入った茶色い紙袋を抱え直した時、ポケットからはみ出していた一冊の手帳が道に落ちた。 「あ、」 思わず、小さく声をもらしたら、すかさずアイビーが手帳を拾ってくれる。 「はい、これ」 「ありがとう、アイビー」 差し出された手帳を受け取って、私はそれを再びポケットに押し込んだ。すると、それを見つめていたアイビーが、少しだけ興味深そうに口を開く。 「変わった形の文字だったけど……それがイツキのいた世界の言葉?」 落ちたことで開いた手帳の中身が見えてしまったんだろう。 私はポケットにしっかりと手帳がおさまったのを確認してから、頷く。 「うん、そうだよ」 「ふうん、なんて書いてあったのか聞いてもいい?」 「――へっ?」 思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。 手帳に何が書いてあるかって、それは、もちろん、私の妄想――もとい、空想の産物で。 とたんに、顔に熱が集まってくる。腕の中のものを抱きしめたら、ぐしゃりと紙袋が悲鳴をあげた。 「あ! で、でも、言いたくないなら、別に――」 「――“そこは、白い世界だった”」 「え――?」 慌てたように笑顔を取り繕っていたアイビーが、私の呟いた「それ」に、目を丸くする。 「“風もなく、音もなく、時という概念も持たず、遥かなる彼方へと広がる虚空の世界”」 それは、昨晩に書き出した「物語」。 私はポケットの中の手帳につづった言葉を思い出しながら、ぽつりぽつりと「それ」を口にする。 「“いつからそこにいるのか、わからない。いつまでそこにいるのか、わからない――ただ、私は一人、そこにいた”」 規則正しく並ぶ石畳を見つめながら、私は、こつこつと鳴る自分の足音を遠くに聞いていた。 「“そこを終わりの地と称するか、始まりの地と称するか。私は考え、そして、その場所を世界の始まりにした――”」 大して長くもない創りかけの「物語」を語り終えて、私はふと隣にアイビーがいないことに気づく。 とっさに足を止めて振り返ったのなら、アイビーは私から数歩離れた場所で、呆けたように立っていた。 「――アイビー?」 「あ――ご、ごめんね! なんか、魔法を使う時のファデスみたいだなって思って……」 我に返ったアイビーに言われて、私ははたと思い出した。そういえば、ファデスが魔法を使う時は本の中の一節を暗誦して、その妄想力――ではなく、想像力によって具現化するのだったか。 たしかに、傍から見れば似ているのかもしれないけれど、私にはそれを具現化するような力はない―― 後からアイビーが追いついて来るのを待って、私は再び歩き出した。そうして、何気なく呟く。 「魔法、か……」 「イツキの世界には魔法はないのよね、たしか」 「うん、手品ならあるんだけどね」 さすがに本物の魔法と比べたら、きっと、どんなすごい手品だってかすんでしまう。 私にも魔法が使えたらなあ。なんて、そんなことを思って自分の手のひらを見つめていると、アイビーが大きく伸びをしながら言った。 「もう少し早かったら、ハルの実力試験も兼ねて、私の魔法を見せてあげられたんだけどな〜」 ――それは、もしかすると、漫画でハルが「アイビーに追い回された」と言っていたあれだろうか。 とりあえず、私は勝手にその光景を想像してみた。 「L&F」にある中庭で、嬉々として魔法を放ちながら、ハルを追いかけ回すアイビー。そして、それから必死の形相で逃げ回るハル―― 「ものすごく見てみたかった……!」 ――主に、ハルのへたれっぷりを。 「落とされていた」自分を拾ってくれた恩人に対してなんてことを考えているんだとは思わないでもないけれど、見てみたかったものは見てみたかったのだからしかたがない。 ぐっとこぶしを握り、本気で悔しがる私。そんな私に対して、アイビーは笑って言った。 「その内だけど、時間があったら、所長に訓練って名目で許可もらってあげるわ」 「……訓練相手は?」 「もちろん、ハルよ! ロスファンじゃ一番弱いし!」 「ぐっじょぶ、アイビー!」 きっぱりはっきりと断言したアイビーに、私はびしりと親指を立てた。 ここでファデスや、他の「L&F」所員を指名しないところが筆舌し難いほどに素晴らしい。 「これを機にきっちり鍛えるのもいいわよね!」 というのは、アイビー談である。 ――その頃、仕事の手ほどきを受けていたハルが言い知れない悪寒を感じて身震いしていたことを、私たちは知らないのだった。 |
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