― 第一話・朝の光景 ―



 そこは、白い世界だった。
 風もなく、音もなく、時という概念も持たず、遥かなる彼方へと広がる虚空の世界。
 いつからそこにいるのか、わからない。いつまでそこにいるのか、わからない。
 ――ただ、私は一人、そこにいた。
 そこを終わりの地と称するか、始まりの地と称するか。私は考え、そして、その場所を世界の始まりにした。

 風を呼び、空を、土を呼び、大地を、水を呼び、海を、火を呼び、太陽を――それぞれの精霊たちのもとに創った。
 精霊たちは互いに愛し合い、時には争い合い、さらなる精霊たちを生み出して、私はそれら全ての母となった――



 ふっと目を開ける。すっかり見慣れてしまった「L&F」にある自室の天井。カーテンの隙間から差し込む朝日がまぶしくて、少しだけ目を細めた。
 ――夢をみた。私が思い描いた、「物語」の夢を。数多の精霊たちに、母と慕われる夢を。
「……変なの」
 ぽつりと呟いて、私はあくびをひとつ噛み殺した。

 いつまでも、お世話になりっぱなしというのも、居心地が悪い。私も家事の手伝いをしたいと、食事の席で「L&F」の面々に言ってみたのは、二週間前のことだった。
 とりあえず、私と同じく居候の身分であるハルは閉口。口数の少ないファデスは最初から沈黙。アイビーは気にしなくてもいいと言ってくれたのだけれど、やっぱり気になるものは気になってしまう。それでも、何かやりたいのだといえば、あっさりと家主であるウェントから許可が下りた。
 ところが、私はあまりにも、この世界――『エリアル』の常識を知らなさすぎた。
 一人でキッチンに立っても、火の点け方がわからず、オーブンの使い方もわからない。それならと、おつかいを頼まれたものの、今度は買出しリストの英語は読めないし、相場もわからないのでお得な買い物をすることもできない。

 ――全くもって役立たずだった。

 悲しい現実にぶち当たって落ち込む私を見かねて、ハルやアイビーが提案してくれたのは、日毎に変わる食事当番の手伝いをすることだった。
 その際で一番の問題点だったのは、人付き合いが下手というか他人に興味を持とうとしない節のあるファデス。
 二人の提案自体についてはファデスも口を出さなかったのだけれど、ハルたちからしてみれば、実際にコンビを組んで上手くやっていけるのかという不安があったようだった。
 一方で、楽観的な思考を見せたのは、「L&F」所長であるウェント。

「大丈夫じゃろ、イツキはファデスのことも“大好き”なようじゃからの」
「黙れ、ジジイ」

 いつかの私の発言を強調して言ったウェントに向かって、ファデスが辛辣な言葉を返したのは、記憶に新しい。
 最もウェントの読みは正しくて、ファデスの性格を大体把握している私にとっては、一緒に作業をするのは特にどうということもなかった。

「あーっと、今日はファデスの手伝いだっけ」
 こきこきと首を鳴らしながら、私はベッドから起き上がって手早く支度を済ませる。
 街のなんでも相談所である「L&F」の朝は早いのだ。みんなが起き出してくるまでには、食事の用意をしなくてはいけない。ましてや、ファデスは無駄に早起きなので、私がキッチンへたどり着くと、すでに調理を始めていたりする。
 別に寝坊したわけではないものの、私が急いでキッチンへと向かえば、案の定、すでに起きていたファデスが食材を手に今朝の献立を考えているようだった。
「おはよう、ファデス」
「……おはよう」
 少しの間をおいて返ってきた挨拶に、私は自然と笑顔になる。
「今日はどうすればいい?」
「とりあえず、芋の皮むきだな」
「わかった」
 こうしていつも、ファデスに指示されるまま、芋の皮むきから、魚の三枚下ろし、たまに塩やこしょうでの肉の味つけ作業を黙々とこなす。会話が少ないとはいえ、苦ではない。
 むしろ、どちらかといえば、当番の手伝いは楽しかった。日中はみんな「L&F」の仕事で出払ってしまうから、こうして誰かと一緒にいられる時間は、私にとっては貴重で大切な時間だった。

「みんな、おはよう。朝ごはんできたよー」
 できあがった食事を持って食堂へと向かえば、ハルやアイビー、ウェントが席についている。三人は私の声に気づくと、口々に挨拶を返してくれた。
 私はそれに笑みを浮かべながら、席に着いた一人一人の前に朝食を置いていく。この際の順番は一応、気をつかって、「L&F」所長のウェント、その義理の娘のアイビー、同じく義理の息子であるファデス、そして最後に自分と同じ居候のハルとなっている。当然ながら、私は一番最後だ。なんせ“落し物”だし、“遺失物”だし。
 軽くキッチンの後片づけを済ませたファデスが席に着けば、すっかり顔馴染みになりつつある四人との朝食が始まった。

 食堂の窓から見える空は、青い。
 ――今日もいい天気になりそうだと、私は小さく笑みをこぼした。





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