― 第一話・空白の時間 ― |
こんこんと、軽快な音をたててノックする。すると、すぐに中から返事が返ってきて、私はドアノブに手をかけた。
「ウェントさん、一緒にお茶しませんか?」 ティーポットとカップがのった銀製のトレイをみせながら、私は部屋の主に声をかける。書類や本が積まれた机の前に腰かけていた部屋の主――ウェントは、こちらを見て楽しそうに笑った。 「そろそろ来る頃じゃと思っとったよ」 『エリアル』へ来てからというもの、私は一人で部屋に引きこもることが多くなっていた。誰もいない静かな部屋の中は、創作活動に集中できるいい環境ではあったものの、いつもそれではさすがに気分も滅入る。 そんなある日、なんとなく――覚えたてのキッチンを使ってみたかったというのもあるけれど――気まぐれで紅茶を淹れ、ウェントの部屋に持って行ったところ、思いのほか喜ばれた。 「L&F」の所長は、他のみんなとは違ってデスクワークのほうが多く、なおかつ、ウェントは仕事よりも趣味に生きている。私と同じように部屋の中に一人でこもっている彼としては、お茶の差し入れはそれなりに嬉しかったようだ。 以来、私は度々キッチンで紅茶を淹れては所長室に足を運ぶようになった。 そのおかげか、眉毛とひげのせいで、ファデス以上に表情のうかがえないウェントの顔色も、なんとなくわかるようになってきた。 発明好きのウェントは、私のいた『世界』について、ひどく興味を持っている。だから、私が『あちら』にあった機械の簡単な仕組みを説明したりすると、まるで子どもみたいに楽しそうな表情をみせてくれるのだ。そして、それを『こちら』でも再現できないかと、色んな手段を考える。 「L&F」で暮らしている面々には、ウェントの研究のことはなかなか理解されていないようだけれど、専門的な用語を噛み砕いてもらい、なおかつ、ゆっくりと話してもらえれば、私個人としては結構おもしろい話だと思う。 「ウェントさんって、こういう時、すごく生き生きとした表情しますよね」 紅茶の香りを楽しみつつ、会話の合間にそんなことを言ってみたら、同じく紅茶を口に運んでいたウェントが言った。 「発明も研究も、わしの生きがいじゃからのう。特にイツキのいた世界では、文明が進んでおる。わしの研究者魂がうずくというものじゃ!」 「あはは、ウェントさん、ひげに紅茶の染みがついてます」 やや興奮気味に語るウェントに、私は知らず知らずの内に笑みが深くなる。そっとポケットの中にある手帳にふれて、思った。 ――そう。こんな、こんな風に、生き生きとした姿をした「彼ら」を見てみたい。 これまでに創ってきた「物語」。そこに登場する「彼ら」が、こんな風に目の前で笑ってくれたら、どんなに嬉しいだろう。一緒に話すことができたら、どんなに楽しいだろう――そう思ったら、自然と私は口を開いていた。 「そういえば、ウェントさん。今朝、少しおかしな夢をみたんですよ」 「ほう。おかしな夢、とな?」 「私の書いている物語の夢なんです。たくさんの精霊たちが登場するんですけど、その子たちに母さんって慕われるんです」 ここまで来ると、私の妄想癖も重症だ。だけど、夢の中だけでも、動き回る「彼ら」を見られたことを嬉しいと思ってしまうあたり、本当にどうしようもない。 「おかしいですよね」 一人で笑いながら、紅茶のおかわりをカップに注ごうとしたら、ふいに所長室のドアがノックされた。 「入ってよいぞ」 ウェントが一声かければ、すぐにドアが開かれる。そこから顔を覗かせたのは、今日は受付係をしているはずのファデスだった。 「アイビーとハルが子どもを連れて戻ってきた」 「アイビーとハルの子ども!?」 「違う、お前は黙ってろ」 とんでもない聞き間違えをしてぎょっとした私に、ファデスが淡々と言い放つ。 ――ああ、なんだ、びっくりした。 内心で、ほうと息を吐きながら、私は再びティーポットを傾けようとして、ふと違和感を覚えた。顔を上げて、まじまじとファデスを見る。けれども、それに気づいていない様子のファデスは、ウェントに向かって事務的に言葉を続けた。 「怪しい二人組みに追われていたらしい。今は、とりあえず、ロスファンで保護している。アイビーとハルは怪しい二人組みをさがしに行った」 「うむ、報告ご苦労じゃった」 ウェントが頷くと、ファデスはそれ以上は何も言わずに部屋を出て行く。それを見送り、私は少しだけ眉を寄せた。 ――ファデスの言っていた「子ども」というのには、心当たりがある。でも、 「ウェントさん、私、今日はこれで失礼します」 「む? そうか、それは残念じゃのう。もっと色々と話を聞きたかったのじゃが……」 「また明日、来ますから」 ウェントが少しだけ寂しそうな顔をした気がして、私はそう笑いかける。そして、ファデスの後を追うように部屋を出て行った。 部屋を出たばかりのファデスには、すぐに追いついた。階段を下りていく後姿に向かって、呼びかける。 「――ファデス!」 少し薄暗い階段の下で、銀糸が煌めいた。 階段の途中で立ち止まって振り返ったファデスの顔を見て、私はやっぱりだと内心で呟く。慌てて階段を駆け下りて、ファデスのとなりに並んだ。 「ファデス、顔色悪いよ。どうしたの?」 前髪に隠れてほとんど見えない顔を、下から覗き込む。少しだけ、青い双眸が大きくなった。 「――イツキ」 ぽつりと、呼ばれた名前。 だけど、ファデスは何かをこらえるようにきつく目を瞑り、また開く。 「なんでも、ない」 そうとだけ言って、再び階段を下りていくファデス。それを見つめていた私は、白い手に金色のプレート状のペンダントが握りしめられていることに気づいた。 ――あれは、 口の中で呟いて、私はぎゅっと口を引き結んだ。 ファデスの顔色が悪かった理由に気がついて、私は自分が余計なことを言ってしまったのだと知る。 「……馬鹿だな、私」 ――ちゃんと、知っていたはずなのに。 それでも――いや、だからこそ、余計に心配になって、私はまたその後を追いかけた。 * 結論から言えば、ファデスはなんの変わりもなく、受付の作業をこなしていた。 ――全部、余計な心配だったのだろうか。 そう思いつつ、私は「L&F」の受付兼ロビーにある長椅子に腰かけた女の子の傍へと歩いていく。わかってはいたことだけれど、ハルとアイビーの姿はもうすでになかった。 「よっこいしょ」 と、おばさんくさいかけ声をつけて椅子に座れば、黒い髪の女の子が私を見上げた。もみあげのあたりだけが異様に長い、変わった髪形の女の子だ。 「……あなたも、ここの人?」 「うん、一応ね」 「――そう」 それっきり、黙り込んでしまったその子に、今度は私が声をかける。 「私はイツキ。あなたは?」 「レイラ」 問えば、ぽつりと返ってきた返事。 ――あの日の私と同じ、ひとりぼっちの女の子。 きっと今、彼女の――レイラのその小さな胸の内では、色んな不安がうずまいているんだろう。そう考えたら、他人事とは思えなかった。 どこかはりつめた雰囲気をまとうレイラの様子に、私はなんとか気分をほぐしてもらえないかと頭をひねる。そうして、思いついたのは、 「ねえレイラ、ちょっとお話を聞いてくれないかな」 「別にいいけど……なんの話?」 「――そうだなあ。とある竜と鳥の物語、かな」 私はポケットから手帳を取り出して、ぱらぱらとページをめくった。目的の「物語」を見つけたところで手を止め、ゆっくりと語り出す。 「“その昔、世界には昼しかありませんでした。世界に暮らす人々は一日中働いて、一日中汗を流していました”」 「L&F」の片すみで語られるそれは、誰も知らない「物語」。 「“ですが、このまま放っておいたのなら、人々は疲れ切ってしまいます。そこで、世界を見守っていたヒトは、朝と夜を作り、一匹の竜と一羽の鳥に運ばせることにしました。 世界を見守るヒトに選ばれたのは、とてもとても大きな竜と鳥でした。その翼を広げれば、世界の半分まで覆ってしまうほどの、大きな竜と鳥です。竜は世界に安らぎの夜を運ぶ役目を与えられ、鳥は目覚めの朝を運ぶ役目を与えられました。 まずは、夜がこなければ、朝は訪れません。竜は翼を広げ、世界に夜を運びました。 けれど、これまで夜を知らなかった人々は、突然、世界がまっくらになってしまったことに、ひどく驚きました。戸惑い、怯え、休むどころではありません。人々は夜を運んできた竜を、破滅の使者だと恐れました。 そこで、急いで鳥が朝を運びました。すると、たちまち、人々は歓声をあげ、朝を運んできた鳥を、光の使者として歓迎しました。 人々に忌み嫌われる夜を運んだ竜は、ひどく悲しく、みじめな気持ちになりました。そうして、考えたのです。 ――どうせ人々に安らぎを与えられないのなら、こんなものは食べてしまおう。 ところが、竜がその大きな口で夜を食べると、みるみる内に竜の体の色が夜の色へと変わっていくではありませんか。人々に嫌われる夜を食べた竜は、人々に嫌われる夜の竜になってしまったのです。 竜は悲しくて悲しくて、ひとりぼっちで泣きました。竜の目からこぼれ落ちた涙は、竜の身体に落ちては、きらきらと煌めく星になりました。それでも、竜は、なおも泣き続けます。 そんな中、朝を運んだ鳥が、竜のことを心配してやってきました。そして、すっかり姿が変わってしまった竜に驚きました。 ――竜よ、お前は一体どうしてしまったんだい? 鳥が夜になった竜に尋ねると、竜は泣きながら、夜を食べてしまったことを話しました。 ――人々に安らぎを与えるどころか、私は人々に忌み嫌われる夜になってしまった。 さめざめと泣く竜に、けれども、朝を運ぶ鳥は言いました。 ――それはきっと、お前の運ぶ夜があまりにまっくらだったから。でも、ごらん。今のお前は、こんなにもたくさんの輝きに満ちている。 そう、ずっとずっと涙を流していた竜の身体は、いつしか、数多に煌めく星々に包まれ、美しい姿へと変わっていました。きっと、これなら、人々は夜を怖がらずに済むでしょう。 けれど、なおも竜は泣くのです。 ――私は、与えられた役目を捨てて、夜を食べてしまった。私はもう、あのヒトに合わせる顔がない。 ――なら、私も食べてしまおう。 そう言って鳥が朝を食べると、鳥の身体は瞬く間に朝の色へと変わってしまいました。 ――これで、私もお前と同じもの。一緒にあのヒトのところへ行って、謝ろう。 朝へと変わった鳥が微笑むと、竜の目からは一際大きな涙がこぼれ落ちました。竜の身体へと落ちたそのしずくは、散りばめられた星々の輝きにも負けない、美しい月となりました。 そうして、夜の竜と朝の鳥は、世界を見守るヒトのもとへと行きました。すると、世界を見守るヒトは、帰ってきたふたりを見て、怒るでもなく、嘆くでもなく、微笑んで言うのです。 ――おかえりなさい。 と。 たちまち、ふたりの目からあふれ出した涙は、その身体に落ち、宵の明星と明けの明星となりました。 そして、ふたりは世界を包み込む大きな翼を広げ、今日も世界に夜と朝を運ぶのです――”」 私が物語を語り終えた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。 「レイラ、ちょっとおいで」 そう言って、レイラの手を引きながら椅子から立ち上がると、私は「L&F」の正面玄関から、暗くなりつつある空を仰いだ。深い夜の色をたたえた空に、ひとつだけ光る明るい星。 「ほら、レイラ。あそこに見える星――あれが、宵の明星だよ」 一番星とも呼ばれる星。その輝きを見つめて、レイラがぽつりと言った。 「じゃあ、あの星が竜と鳥の流した最後の涙なのね」 「――そうだね、きっと、あれがふたりの流した最後の涙だよ」 私が微笑んでレイラを見ると、レイラの表情が少しだけ柔らかくなっているような気がした。 ハルとアイビーが「L&F」に帰ってくるまで、後少し―― |
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