― 第一話・終幕の晩餐より ―



 閉館時間を迎え、屋敷に住み着いている数名を除いて、「L&F」所員が全員帰宅した後。私のとなりで椅子に座っているレイラの目線に合わせ、アイビーがしゃがみ込んだ。
「レイラちゃんは、どうして追いかけられてたのかなー?」
「…………」
 にこやかに問うアイビーとは反対に、レイラはむすっとした顔で黙り込む。
「――食い逃げじゃないわよ。あと、無理して“ちゃん”づけしなくていいから」
 無愛想にそう返したレイラの横で、私はなんとも言えずに苦笑していた。
 レイラを追っていたという二人組みを取り逃がしたハルとアイビーが帰って来たのは、ほんの少し前のこと。レイラが追われていた理由は結局わからず終いで、アイビーはなんとかレイラから事情を聞き出そうと、質問の仕方を変えたりしている。だけれど、レイラは追われていた理由を聞かれると、とたんに口を閉ざした。
 比較的、レイラと打ち解けている――ように見えなくもない私に向かって、アイビーが助けを求めるような視線を投げかけてくる。だけど、私は苦く笑って首を振ることしかできなかった。
「――ダメかあ」
 ため息まじりに呟かれる言葉。最終的には、アイビーも諦めたようで、受付の傍にいるハルやファデスのほうへと、歩いていく。
 その後姿を見送って、ふいにレイラが私を見上げた。
「……イツキは、何も聞かないの?」
「レイラが話したくないなら、無理に聞こうとは思わないよ」
 安心させるように笑いかけて、私はレイラの小さな手を握る。レイラは驚いたように私を見たものの、手を振りほどこうとすることもなく、ためらいがちに手を握り返してくれた。

「レイラじゃなくて、私たちを狙ってたのかなー」
 難しい顔をしたアイビーの呟きが、聞こえてくる。
「よく考えると、行動の順序がおかしかったわよね、あの二人」
「俺があの子といるのを知ってた感じだったもんな。だったら、なんで一緒にいる時に襲って来なかったんだろう」
 ハルが頭に疑問符を浮かべていれば、「それより、」とファデスが口を開いた。
「ロスファンとしては、行き場をなくしたあの子どもをどうするか――じゃないのか」
 ――レイラの、今後。
 その話題が上ったとたん、レイラが微かにうつむいた。アイビーと話していた時とは一変して、その表情はどこか心細そうに見える。私は、自分がここにいると主張するように、もう一度その手を握り、ささやくように言った。

「大丈夫、大丈夫だよ」

 ――だって、ほら。
 レイラにしか聞こえないような小さな声で呟いたとたん、その場に新しい声の主が現れる。
「うちで預かれば、よかろー」
「所長!」
 「L&F」の受付カウンターの奥から出てきたのは、ウェント。ハルがぎょっとしたような声をあげる一方で、のののの、という奇妙なその移動音を実際に耳にした私は、なんだか変な気分になっていた。
 ――あのローブの中は、本当に二本足なんだろうか。
 実は四本足だとか、魚のしっぽみたいに――そう想像してみたら、なんだか気分が悪くなってきたのでやめた。そっとウェントから目をそらす――そんな私を他所にして、ウェントは言葉を続けた。
「今この家には、わしら五人しかおらん。部屋ならいらんほど空いとるし、まさか強者ぞろいのロスファンに押し入って来ることもなかろう」
「――例外いるわよ」
 しれっと言ったアイビーに、ハルが「うっ」と声をもらす。主人公なのに「L&F」最弱という肩書きを持つハルには、とりあえず、同情のまなざしを送っておいた。
 もちろん、言うまでもなく、私は戦力外だけど、「落し物」だからそこは気にしない。
「警察には報せなくていいんですか?」
「いいよアイツらめんどくさいし」
「…………」
 投げやりなウェントとハルのやりとりを聞いていたレイラが、わずかに身を乗り出す。私はレイラに合わせ、その手を握ったまま、椅子から立ち上がった。
「……ねえ、その話、ほんと? あたし、ここにいてもいいの?」
 レイラの声で四人がこちらを振り返る中、私はレイラの手を強く握る。ウェントへと視線を向けたのなら、その顔が穏やかな笑みをたたえていることに気づいた。

「もちろんじゃ――ここにいれば、もう何も心配はいらんよ」

 とたん、それまで、固く閉ざされていたつぼみが、ふわりと花開く。
「――ありがと」
 ここへ来て、初めてレイラが見せてくれた笑顔。私はそれを見つめて、そっと微笑んだ。
「よし。そうと決まったら、とっとと閉館作業して、みんなで晩餐じゃ〜」
 ウェントの明るい一言で、その場の空気がわっと盛り上がる。
「じゃ、私は先に食事の支度してようかな」
 キッチンの使い方も大分、覚えてきた。閉館作業をしている間は暇なのだし、今日は色々とあったから、みんな疲れているだろう。ここは日頃の感謝も込めて、私が食事の用意をすることにした。
「あたしも、一緒にいていい?」
「いいよ、レイラも一緒に行こう」
「うん!」
 屈託なく笑うレイラの背を押して、私はキッチンへと足を向ける。

 ――その時、聞こえるはずもないのに、誰かの謝るような声がしたように思ったのは、なぜだろう。

 私は一度だけ立ち止まって、それからまたすぐに歩き出した。



「……イツキ、これは?」

 みんなが閉館作業をしている間におかずの一品をこしらえてテーブルに並べたところ、戻ってきたハルの一言がそれだった。

「みんな大好きお芋さん――で、作った肉じゃが」
「にくじゃが?」
「私のいた世界――というか、故郷で定番の家庭料理だよ」
 別にここが私の「家」というわけでもないけれど、新しくここに住むことになったレイラを歓迎しようという気持ちで、あえて作ったのがこれだった。一緒にいたレイラにも味見をしてもらって、「おいしい」という評価をもらっているので、『こちら』の人たちの口にも合う――はずではある。しょうゆがなかったから、なんちゃって肉じゃがではあるけれど。
 なんならハルにも味見をしてもらおうか――そう思っていたら、そこでおもむろにレイラが私の服の裾を引っぱった。
「ねえ、イツキのいた世界って、どういうこと?」
「――ああ、そっか。まだレイラには、話してなかったね」
 と、私は小さく笑って、レイラの前にしゃがみ込む。
「私もね、レイラと同じなんだ。“世界”に“落とされた”――“落し物”なの」
「イツキが……“落し物”?」
「うん。私の本当の生まれはエリアルじゃなくて、違う世界なの」
「違う、世界――」
 レイラの小さな唇が、私の言ったことを繰り返した。
 鍋がぐつぐつと音をたてている。そろそろ、火を弱める頃合いだろうか。私が再び立ち上がると、レイラがぽつりと口にした。

「イツキは――寂しくないの?」

 ――生まれた世界から、たった一人で『エリアル』に「落とされて」、寂しくないのか。

 そう問われて、私はまた笑う。そして、いつかもハルの前で言ったことを繰り返した。
「寂しくないよ。みんながいるし――これからは、レイラもいるから」
「あたしも?」
「そう、レイラも」
 みんな一緒だから、寂しいことなんてない――だから、願わくば、レイラも寂しがらないでほしい。
 そんなささやかな願いを胸に、私はレイラの頭を撫でる。嫌がるだろうかとも思ったけれど、レイラはちょっと呆けたような顔をしただけで、すぐにくすぐったそうに笑った。それが嬉しくて、私も笑みを深くする。
 と、ハルが穏やかな声で言った。
「イツキとレイラは、姉妹みたいだな」
「あはは、いいなあ、それ。レイラみたいな妹だったら、私もほしいかも」
 などと、二人でのん気な会話をしていたら、ハルに続いて食堂へと入って来たファデスが足を止める。
「あ、ファデス――」
 私が声をかけようとすると、ファデスは黙ってキッチンのほうを指さした。
「鍋が吹きこぼれてる」
「――あ」
 すっかり忘れていた。慌ててキッチンに取って返し、火を弱火にする。鍋の中身をかき回しながら、焦げついていないことを確認した後、私はほっと胸をなでおろした。
 それに合わせて、食堂へと響く二つの声。
「いい匂いがするのう」
「イツキ、何作ってるの?」
「――肉じゃが、だってさ」
「「にくじゃが?」」
 手が放せない私の代わりにハルが答えれば、アイビーとウェントの声がきれいに重なった。





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